Takahashi Shunji

神戸市立森林植物園

木想

木が歩くのを、木がしゃべるのを、見たことがない。
いつもの場所に、いつものように、身じろぎもせず。
しかしいつか、かすかな気配に呼ばれて振り返る。
風が変わって匂い立つ。
光を浴びて翻る。
樹皮の内側でほとばしる。
わずかずつ更新し、季節が巡れば見ちがえる。

木を想う、木が想う、木のごとく、想う。

収められた写真の瞬間はすべて、
その時その場所でしかない一期一会。
木の声を聴き、あるいは木のひだに分け入って、
心洗われるひと時を持っていただけましたら幸いです。

2015年6月27日

※画像はプリントをスキャナーで取り込みました。紙の質感などを少しでも感じていただけたらとの思いからです。日付は合成。作品は少しずつ、増やしていきます。

撮影した木々について

被写体は、いつも傍らにあり、われわれの生活と切り離すことのできない樹木です。撮影期間は8年にわたります。しかし、5年目まではほぼ六甲山にある森林植物園で行いました

神戸市立森林植物園は、1940年に開園した日本で最初の「森林」植物園です。単なる見本園ではなく、森林として形成された、より自然な形で樹木と出会うことのできる樹木園です。表向きには紀元2600年を記念する事業(*1)として計画されましたが、きっかけの一端は、そこからさかのぼること2年前、1938年に起こった阪神大水害にあります。

死者六百名あまり。家屋の倒壊・流出三千戸以上。河川の決壊による洪水に加え、六甲山から押し出された土石流は、阪神間に甚大な被害をもたらしました。六甲山は、安土桃山時代からの盛んな伐採により(*2)江戸期には禿げ山となっていたといいます。水害の起こった当時も、木はまばらにしかなかったようです。定期的に水害の起こっていた地域ではありますが、樹木を削がれ、保水力を持たない土壌が、被害を拡大させた要因とされました。

実をいうと、六甲山は明治半ばから植林がなされてはいました。しかし木々は育つはしから伐採され、緑化は遅々としたものでした。植林は、2~30年のスパンではなく、100年先を考えてなされる必要があります。緑が大地を掴むのには、長い時間がかかるのです。昭和13年の未曾有の大水害の教訓から、本腰を入れての植林が行われることとなりました。復活の記念、シンボルとしての役割を担わせることが、森林植物園を創立する真意であったことでしょう。樹木の持つ力を再確認し、われわれの生活や命を守っていることを忘れないようにとの人びとの願いが、日本初の「森林」植物園の設立につながったのです。

神戸市立森林植物園には現在、142ヘクタール(1ヘクタールは1万平米。甲子園球場の、スタンドもあわせた総面積がおよそ3.8ヘクタール)の敷地に1000種類あまりの樹木が植えられています。「植物園」としては広い敷地ですが、木の植えられていないイベント広場や、普段足を踏み入れることのできない学習林・保存林を含めてのもので、メインの散策ルートはさらっと歩けば1時間ほどで回ることができます。わき道、枝道、隅々まで回っても2時間半ほどでしょうか。「森林」としては、決して広いとはいえません。また、明治期以降に植林された二次林でありますから、目に付くような巨木はなく、適度に管理されているがゆえに奇木も存在しません。山深い原生林や、古い鎮守の森にあるようなフォトジェニックな巨木・奇木は存在しないのです。そのような場所をあえて撮影の場所に選んだのは、一見、特別ではない木に現れる特別さを発掘したいと思ってのことです。その積み重ねなしに特別な木と向き合っても、奥深さに触れることなく、表面をなぞるだけのことになってしまう気がしました。

何の変哲もない。いつも見ることもなしに通り過ぎる木。ある時そこに、光が当たる。風が吹いて突然に匂い立つ。動くことはないけれど、その都度の風や光の様子によって、木々は刻々と姿を変えてゆきます。その場では感じることのできないゆっくりとした変化が、いつかほんのひと時、あからさまになって花開きます。そのような木々の営みは、何度も何度も足を運び、その都度新たな気持ちになって眺めることで、初めてその一端に触れることのできる類のものです。私自身、数年そこに通って、初めてそのことを実感できました。

6年目以降は、撮影回数はぐっと減りましたが、植物園以外の木も見て回りました。熊野古道「大門坂」では樹齢数百年に及ぶ杉の木が立ち並ぶ様に圧倒されました。あるいは但馬に点在する鎮守の森。名もなき社にも街ではついぞ見られない巨木があったりします。これらの巨木の林立は、人間の寿命を遙かに超えた時間を木々が抱えるのだということを教えてくれます。しかし一方でそれらは、人間の意思によって大切に守られてきた結果だということも教えてくれます。

宮崎「綾の森」は、日本ではほぼ絶えた照葉樹の原生林です。育ちの遅い照葉樹は、伐採されると次の世代が老成するにまで時間がかかります。縄文・弥生を通して、西日本の低地は、ほぼ照葉樹の森だったといわれてますが、材として重宝された照葉樹は、伐採を繰り返された結果、極相にまで達した照葉樹林は九州を中心にわずかに残るのみとなっています。関西あたりで見かける照葉樹林は、常時葉の茂った枝が天を覆い、暗く鬱蒼とした印象ですが、「綾の森」は木と木の間のスペースも広く、明るく気持ちのいい空間です。

そして、京大の演習林となっている「芦生の森」。そこでは、世代交代をダイナミックに繰り返す様子が見て取れました。肥えた土壌は、あっという間に倒木を腐敗させます。直径二メートルもあろうかという巨大な倒木で今にも崩れ落ちそうになっているのが、倒れてから一年ほどであるとは、にわかには信じがたいことでした。他の原生林でもそれほど早い腐食は見かけたことがありません。ガイドの方は、森では数百年おきに主役の木々、その種類が入れ替わることが起きる。巨木が今までにないペースで倒れている今が、ひょっとしたらそんな時期かもしれない、とお話しされていました。主役の木々が交代するということすら思いもよらないことでしたが、目の前で少なくない数の巨木が倒れているのを、そしてそれがあっという間に朽ちていくのを目撃すれば、なるほどと納得できるようなことでした。木々であっても、謳歌するのは春の夜の夢のごとし。我々と同じく限られた命のサイクルを共有しているということに、無常を想わずにはいられません。

現在はweb制作のため撮影を中断していますが、一区切りついたら岡山と兵庫と鳥取の県境に位置する若杉原生林を中心に撮影を再開する予定です。さらにそこでまとまった数が撮れたら、次の課題にも取りかかろうと準備中。知るほどに深い、木々の世界です。

2015年6月27日

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