雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル…
宮沢賢治 ―雨ニモマケズ―より
写真は好きでした。しかし写真家を目指していたわけではありません。己の才覚を自負していたわけでもありません。確かに若い時には多くを望み、大いに自負してもいましたが、挫折して出遅れて以降は、ごくごく平凡に、ただただ普通の暮らしを手に入れること、それが私の願いでした。雨にも負けず、風にも負けず。自分を勘定に入れないでいることは難しく、丈夫な体といつも静かに笑っていられるような穏やかさにはなかなか及ばなかったものの、誠実に日々行っていれば、いつかたどり着けると信じていました。
デクノボーと軽んじられ、そうでも無いとわかると今度は好きで選んだとの解釈で憎まれて、まれに、それもどうやら違うらしいと気づかれたとしても、生まれ落ちてしまった感情と、記号の持つ慣習的な意味を正当化するためのあら探しは終わらない。私自身の強情に過ぎるところ、ちょっとしたことで力が入るところは、隙にもなっていたでしょう。もちろん、どうしようもない巡り合わせも大いにあったでしょうが、歳月が過ぎ、望んできた普通からは、遠くに隔たってしまいました。
周囲からのそのような見方に「否」と唱え続けることが、私が私であり続けるための生命線でした。それでも身近なものにすら怪しまれれば、あらゆる美徳をかなぐり捨ててしまう誘惑に傾きました。人間は社会的な動物であり、周囲の「期待」に逆らい続けることは、とても厳しいことなのだと教わりました。しかし、皮一枚で残っている信頼と、いくつかの過去の連帯と成し遂げたエピソード、太極拳の修練で少しずつ安定を増した体、それらが私を支えました。そしてまた、向けられた憎しみや蔑みを紡ぎ上げてきた背後に、苦しみの所在を見ることができたために、なんとか慎みを保てました。そう、あれこれとつかみ損ねてきた私が得たものは、闇にせよ光にせよ、目の前にあるのに常に見落としてしまう類いのものを見てとることのできるまなざしです。
残されていたのが写真だけだったという、そういうお話。つまりはそういう作品ですから、何が写っているのか、正面からだけでは見えてこないかもわかりません。ななめからも裏からもご覧いただければと思います。
また、本サイトはPCの画面で見るように設計しています。あまり写真を縮小してしまうと、作品に込めた思いもしぼんでしまいます。特にre-spectやゆるされざるものは、大きさが意味を持つ作品で、このサイズでも本当は不足しています。その為、携帯など小さなモニターに合わせることは断念しました。スライドショーなどはどうぞ、ブラウザを大きく表示してお楽しみください。
2016年11月15日
mokusou高橋俊仁
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1970年生まれ、神戸市在住
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